音符のような「つながり」をもとめて。

たとえば季節のように(錦秋のコンサート report)



十月の透き通った秋空の下、元住吉の国際交流センターで、「Motton Club」のライブイベントを開催しました。
じっとしているだけで汗ばんだ、あの夏もどこ吹く風。たとえば季節のように、何もかもいつの間にか過ぎてゆくのが人生です。思い返せば、私たち「くじら座」が、初めて元住吉で音楽を鳴らしたのは3年前のことでした。
モトスミハロウィンをはじめ、イダナカ夕市、元住吉ミュージックフェスティバルと、くじら座の目次には、常に元住吉の景色が描き込まれているように感じられます。
そんな今回のイベントは、「音友会」の代表である、塚田さんのバースデーライブでした。ろうそくが乗り切らなくなってしまったケーキに、「誕生日なんて」と呟く方もいる中、まるで少年のように目をきらきらさせて、ドラムスティックを握る塚田さん。塚田さんがドッシリと支えるバンドのフロントマンとして、私は歌を乗せる役目を担いました。
その瞬間、私は、これまでにないほどの胸の高鳴りを感じました。塚田さんは、私に、音楽は人に情熱を与え、夢を見せ続けてくれるということを、演奏というコミュニケーションによって教えてくれました。
顔を合わせて話すよりも、インターネットで意思を伝え合うことが、主流となった現代。便利さや手軽さと引き換えに、私たちは、「言霊」を失いかけているのもしれません。言葉には声があり、声には心が宿ることを思い出さなければ、人を支える歌は歌えないと感じます。
私たちミュージシャンは、数分の歌で、聴いてくれた方の人生を変えなければなりません。使い捨てのように過ぎ去ってゆく歌、たとえば季節のように、いつの間にか終わっているような歌だけは、歌ってはいけないと思っています。終わってしまうのが惜しくて、心に焼き付けておきたくなるような、そんな歌を世に出すことが仕事だと感じます。
寒い風にも負けず、今度は、4月の第二回元住吉ミュージックフェスティバルに向けて、Motton Club一丸となって進み続けたいと思います。    くじら座  牧野 ケント
(写真・左から神山昇、牧野 ケント、塚田親一、牧野くみ、石原真理、永瀬進、撮影・安田芳郎)